波の形

 

わたしの声は、ちいさくて高い。大きな声を出そうと思うとふるえて少しみっともない。お店やさんで注文するときは1回では通らないから、友達や家族がオーダーしてくれる。でも電話口で「優しい声ですね」と褒められることもあるし、大きい音が苦手だから別に自分では困っていない。

 

「声が高い女は、男に媚びている」「背が小さいことを自慢している」「かわいいレースの洋服はモテを意識している」

 

ジェンダーに興味があると、しばしばこういう意見を目にする。わたし自身は男の人が苦手だから媚びている意識はないけれど、日本という環境がわたしの声を高くちいさくしたのかな?ナメられないように背も大きい方がよかったけれど、それを主張したら自慢に聞こえるのかな?白とかピンクとかレースが好きだけれど、これはモテたいように見えちゃうのかな?

 

要は、情報の取捨選択とブレない芯や軸のようなものが必要なんだと思う。だって他人の意見ばかり見ていたら、自分らしさがなくなってしまうもん。

 

わたしは人間観察が好きで、洋服や話し方でその人を分類しがちだけれど、これってとっても失礼なことだとも思っている。ギャルだからサバサバしているかって言われたらそうじゃないし、ワンレン黒髪でスポーツウェアを着ているから留学経験があるかって言われたらそうじゃないし、前髪が眉毛より短くてショートへアだったら代々木上原に住んでいるかって聞かれたらそうじゃないもん。

 

だから男の人が苦手だけれど全員が悪い人だとも思わないようにしているし、はじめに合わないかなと思うひとにも話しかけるようにしている。お店もお洒落な人しか入らない常連さんばかりのイメージがあっても、入ってみちゃう。機会は平等のはずだし、出会いを自分から狭めたくないから。

 

思想とか趣向とか、調べていくうちにこれわたしが好きって言っていいのかな?わたしは仲間じゃないのかな?って思うことがたくさんある。

 

「何者でもないわたしたち」みたいな言葉が流行っているけれど、なんとなくそれぞれのリンクする部分をつまみ食いして、なんとなく自分でいられることが出来ればいいのかなって思う。全部まるごと肯定してもらうのって大変だしなんか怖いから。別にいいじゃん、認めてもらえなくていいじゃん。

 

誰も教えてくれなかったから、今伝えるね。わたしもあなたも世間の中で、正々堂々と息できるようになるといいね。

 

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