写真と綱引き

 

わたしは愛の人間だ。朝起きて窓を開けた時に感じる風、パンを焼いたときの香り、友だちから借りたCD。電車の中で話している人たち、アイドル。世の中は素敵なものがたくさんあって愛しい。やさしい。

 

だから、自分は恋愛的にも、愛し愛されることが得意だと錯覚してしまった。森羅万象を愛すことと同列に誰かを上手に愛せると思っていた。

 

「君は、俺が君を好きと思う気持ちより、全然俺を好きじゃない。それが辛いから別れよう」と言われたことがある。家族にするように、友だちにするように「好き」「ありがとう」「ごめんね」と常に伝えて、手を繋いだりハグをしたりして、気持ちを伝えているつもりだった。大好きだった。

 

恋愛の愛はきっと「わたしはあなた以外はいらないし、これから先もきっとそうです。だからあなたの欠点も含めて愛しています」という気持ちをお互いに綱引きして、弛まず千切れないように共同作業でその空間を保つものだ。どちらかが100%でも50%ずつでも、その空間が保たれてさえいればずっと続く。

 

わたしがこれまで積んできた気持ちは「あなたはわたしを好きでなくても、あなたが好きです。ずっとそうかは分からないけれど、今この瞬間とてもすきです。」だった。未来の自分と相手を信頼できないから、独りよがりに思い続けることを正義として、愛と呼ぶ。自分のことを愛しているから、傷つくことから逃げてしまう。美しいと思った瞬間をひたすら映して、誰にも見せずに大事に取っているだけ。

 

なにもかもを委ねて許し許されて、この人はわたしが本気で綱を引いても手を離したりしないと思えるようになるまで、誰かと生きていく覚悟ができるまで、日々の生活を愛していこう。無花果のジャム、マリアージュフレールの紅茶、ヴィロンのクロワッサンを。

 

f:id:nekoojp:20191107213223j:image

 

https://open.spotify.com/track/5dZdhZ61HL8hIBzlrnd0TQ?si=ae3UqnN2SGmULqrIp8A5UA