コップの水滴

すごく苦手なのに、嫌いになりきれないのはどこかで期待しているから。好きになりたいから。

 

中学2年生のとき、突然学年で一番不良の男の子からメールが来た。うちのクラスの少し皆から嫌われている女の子の彼氏だった。あいつと仲良くしてほしい、みたいな内容だった気がする。

 

わたしはその頃今みたいに優しい気持ちよりは「可愛くないくせに」「こんな簡単な問題わからないなんて努力不足だ」という意地悪な思考の持ち主だったけど、今より社交的で明るかったし、八方美人で先生からもこういう頼まれごとをされがちだった。なんなら(恋空みたいじゃん、、)とか思っていた。

 

メールを続けていると、いきなり電話が来て2時間くらい話したり、「好きかも」「彼女が居なかったらな」なんて言葉、夜の12時に会いにきてくれたりして、もう実質彼氏の気分。

 

そんなこんな夢見心地のある日の朝、男の子の取り巻きから「◯◯カップル潰すようなことしないでくんね?お前が誘惑したって言ってっから、謝れよ、まじ」と言われて あ〜血ってこうやって下に流れるのね、と思った。手が冷え切って、感覚がなかった。

 

胸の大きい体型と相まって、この噂はあれよあれよと広がり、先輩や隣の中学まで知れ渡ることとなる。クラスメイトに皆の前で「千円でヤらしてくんね?」って言われた。泣いてしまった。なぜなら、皆さんご存知の通り、わたしは割と高貴なこころを大切にしているから。

 

泣いたら面白いようで、廊下をすれ違えば男子の集団からの「千円!」「サッカーボール」「かわいいじゃん、どう?!」。一人で街を歩けなくなった。親に毎日送迎してもらって、登下校のときは先生に挨拶のふりして見守りをしてもらった。

 

親とショッピングモールで買い物をしている時も、男子の集団がいれば泣いて逃げた。でも、わたしはどうしても都会の大学に行きたかったし、こんな田舎町から出るには勉強だと思って、毎日通学した。

 

一人だけずっと味方してくれていた、頭のいい男の子がいて、その子と一緒に地元の進学校に通うことを夢に頑張った。でも、震災で津波で彼は居なくなって、それは叶わなかった。こうやって優しい人から消えるんだと思った。

 

震災の余波も落ち着いて、やっと高校が始まって、せっかく助かった命だし、新しくやり直そうと思ったバスのなか。知らないauのアドレスからメールが来た。エッチなgifが添付されているだけのメール。やめて、って返信したけどもう届かなかった。遠くで彼らが笑っていた。

 

高校でもまだ千円、胸のことを言われ続けて、毎日マスクをして通学した。顔を見られたくなかった。表情を見られたくなった。クラス替えのタイミングでメインの集団と同じフロアにならないように、先生たちは1つ廊下を隔てるようクラスを編成してくれた。

 

「あなたは大人だから、賢いから、かわいいから、成熟しているから、彼らは揶揄って様子をみたいんだと思う」って大人たちは言った。

 

でも、なんでわたしが許さなきゃいけないんだろう。皆が結婚して、女の子を産んで、同じ目にあって、後悔すればいいのに。そう思って、罪のない女の子に同じ思いを味あわせようとした自分もいやになった。

 

わたしの男の子の原風景は、このように色づき、本と映画を見ることが救済になった。 そして、ハイスクールミュージカルのトロイやグリーのフィンのような「アメリカ映画的マッチョイズム」、「ジャニーズ系甘め男子」に惹かれるようになる。強い男は、わたしを守ってくれる。甘い男は、わたしを傷つけない。この時期の発想が芽吹き、花を咲かせ、幸か不幸か、わたしはずっと男の子を憎めない。

 

優しくて強い人がいるはず、という空想を追い続けている。