助けたい、包みたい
頭のなかではまっすぐズンズン歩いていって、その勢いで抱きしめているのに、実際のわたしの身体は何でもないふりをしてあなたの隣に並んで、他愛のないはなしをしていたりする。
触れる、という行為は、言葉が役に立たない場面での一種の祈り。大切だよ、と伝えたいとき。怒ってる?と聞けないとき。自分の気持ちがわからないときも、触れてしまえば悩んでいたことが不思議なくらい明確になってしまう。遠慮がちになるときは身体が相手の気持ちを感じとっているので、触れない。
「もし神様がいるとすれば、個人の中ではなく、もちろんあなたや私の中でもなく、人と人の小さな隙間にだけ存在するんだと思う」
わたしが一番すきな映画『before sunrise』の中でセリーヌが発する台詞。
誰かに触れるとき、小さな隙間から神さまがこっそり介入して、答えを教えてくれていて、それをわたしたちは「直感」と思ったり、「運命」を感じたりするのかな。
あなたに/誰かに抱きしめたいという感情を抱いたとき、同じタイミングで抱きしめられたいと思ってもらえること。それは美しくて優しい奇跡。抱きしめさせてくれて、ありがとう。