旗を振る

大学3年の夏、現職のインターンに参加した。意識が高かったわけではない。ゼミの教授が「楽したいひとは早めに行動しときなさい。」と言ったから、面倒くさがりのわたしはその通りに行動しただけだった。30人の応募者の中から、1人選ばれて、メーカーで2週間の企画職として職場体験をした。多少の誇らしさもあったし、大学での専攻とマッチした内容でとても楽しかった。

 

指導担当は、役職の付いた既婚者子持ちの40代男性だった。面倒見は良かったが、既に彼からOKが出ている資料について上位上司が新たな指摘をすると「さっき直しといてって言ったじゃん」と言われたりして (ウオーめっちゃ社会人やん)と思ったりしていた。インターンを終え、最終日に送迎会を開いてもらった。帰り際、頭を撫でられて嫌な予感がしたが、杞憂であると気にすることをやめた。

その後、連絡先としてLINEを交換し、何度か会社の忘年会や飲み会に誘われた。彼から南口集合と聞いていたので、待っていたら彼しか来なかった。皆は中央口にいて、わたしは知らずに彼と2人で宴会会場に向かった。ここでもなんとも言えない違和感があったが、自意識過剰だと振り切った。

 

しばらくして、LINEの連絡が頻繁に来るようになった。今出張中だの、このワインが美味しいだの。わたしは凄いですねとしか言えなかった。

「LINEの顔写真変えたね、かわいいね」「この写真チューしたい」「恋愛ドラマ並みのドキドキだよ」「グラマーでスマートな体型」と言われるようになってから、やはりこれまで感じていた違和感は杞憂ではなかったのではと思うようになる。でも、採用のフロー上彼と連絡を取らないことは出来ないしそんなことでキャリアを諦めることは嫌だから、そのまま連絡は続けた。なるべく期待させるような言葉は使わないよう、細心の注意を注いだし、色々な人に推敲してもらったりもした。

 

内定をもらったあと、彼は「お祝いをしよう」と言った。わたしは「皆さんのご都合の良い日で」と返信した。彼から「ぼくが祝ってあげたいから」と2人で会うことを提案された。はっきり言ってこの段階ではもう嫌悪感すらあって、3ヶ月くらいは理由をつけて断り続けた。でも、誘われ続けて断ったら内定後働きづらくなるのではと思い、最終的には承諾した。(親から電話が来たという口実で1時間で解散した)

 

経緯を、入社前の配属面談で人事に話した。わたしは彼が左遷されてほしいとかそういうことは全く思っていなくて、ただ同じ思いをする女の子が減ってほしい旨、あと彼のいる職場に配属されることが怖い旨を伝え「仕返しが怖いので名前は言いたくないですが、再発防止の対策をお願いします」と相談した。人事は謝ってくれたが「名前を教えてほしい。あなたが教えてくれないと同じ思いをする人がいるかもしれない。彼を叱ります。」と言った。名もなき人質を取られ、わたしは彼の名前を伝えた。

 

その後どうなったのかは分からないが、内定式/入社式を経て、わたしが伝えられた業種は企画職からスタッフ職に変わっていた。これは、わたしが面談の際に相談した点だったので、違和感はなかった。

 

企業では12月過ぎから、採用の動きが活発になる。リクルーターに選ばれた。その活動の中で採用活動の戦略を練るチームと関わるようになる。 その時期ちょうど大林組のニュースが世の中を騒がせていて、勿論話題に上がった。ある人が言った。

「そういえば、LINEって怖いですよね。いいように編集したり削除されたりして。去年あたりうちでもあったみたいですよ。そもそも、うちみたいな大企業は出会い目的の学生がいるみたいですし。まあ、問題が起きるとレピュテーションリスクですから気をつけてもらいましょう。」

 

レピュテーションリスクだから、セクハラはしちゃいけないんですか。傷つく人がいるからではないんですね。わたしが彼を誘ったんですか。彼の発言を引き出したのはわたしで、わたしのせいなんですね。

 

頭が真っ白になった。やりたかった業種を諦めて、彼はそれを続けてて、でも自分が伝えると決めたことだからと日々やりたくない仕事を続けていた。でも全く関係のないひとから、ある日とつぜんお前が悪いと言われて訳が分からなくなった。わたしのせいか。わたしのせいか。わたしのせいか。

 

セクハラや性犯罪の話題には「自己防衛論」が必ずといっていいほど出てくる。わたしは他人から言われる前から自分に隙があったり、誤解される発言や態度をしたのではと悩んだ。大学の教授には「せっかく女の子なんだから、その相手を上手く使ったら」とも言われた。

 

でもやっぱり、不用意に触れたり体型に言及したり2人きりでバーで会おうとするのは不適切だと思う。特に学生とリクルーターというのは、そこに権力差があり、パワハラも介しているから。

 

わたしは正しい世の中がいい、みんなにもそんな世界で生きてほしい。あなたが感じた違和感はきっと正しい。

 

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タイ!

 

わたしたちの旅行は大体、半年くらい前に「どっか行こう〜」で始まる。そしてしばしの休息。ギリギリの時期に焦って「どこ行こう、島!」の連絡を取り合ってからはお手の物、行き先はタイ。夏に川で遊んだので、次は海と決めていた。

 

わたしたちの出会いは小学6年生の10月頃に遡る。くまが九州から転校生としてやってきた。中学生になる頃には、彼女は九州に戻ってしまったので、実質半年くらいしか一緒にいなかった。ず〜っと離れ離れだけれどメールで、ホムペで、ラインで、インスタで、連絡を取り合って、東京・関西・長野・和歌山 いろいろな所へ一緒に旅をしている。

 

くまは、優しくて賢いからいつも甘えてしまう。今回も、宿から旅券の取り方から携帯の使い方まで手取り足取り教えてもらって、(こんなに何も出来なくて申し訳ない…)と反省に反省を重ねた。そして本当にありがとう。らぶ。

 

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今回滞在したのは、プーケットのオールドタウンと呼ばれる場所。昔ながらの雰囲気とカラフルな街並み。

 

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ホテルにはプールが付いていた。次のテラスハウスプーケットはいかがかしら。

 

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2月でも常夏の日差し。わたしは本当に適当な女なので、帽子もサングラスもカーディガンも日焼け止めさえも持って行かなかったのでくまに借りました。

 

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象さん、目がやさしい。触り心地はゴワゴワしていた。このビーチに行くための無料送迎バスがなかなか来なくて、待っていたら、日本語が上手な現地のタクシードライバーのお兄さんに話しかけられた。わたしは、絶対怪しいやつだと思ってひたすら無になっていたけど、くまが仲良くなって普通にいい人だった。性善説だいじ。

 

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乗ってごめんよ。バーフバリの気持ちにしてくれてありがとう。

 

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パラダイスビーチ。とっても綺麗だったけど、疲れちゃって、砂浜で座ってくまが泳いでいるのを見てた。羊文学の天国をずっと口ずさんでいた。「そっちはど〜お?」

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次は、どこいく?

塩素

 

毎晩あなたが健やかに生きられますようにと目を閉じる。守らなければいけない倫理観、周囲の視線、自分の理想。何もかも捨てて旅に出てしまおうか、なんて思いつつ 毎日同じ時間に起きて、同じ電車に乗って働いているのは、この街で生きるため。

 

東京で一人暮らしをして5年、働きだして1年。いろんな事が出来るようになった。料理や掃除や電気や水道の支払い、家計のやりくり、ビジネス文書や電話応対。こんなわたしでも都内OLになれてしまった。お給料で何も考えないで欲しいものも買えるし、インスタで観た素敵なカフェにも行ける。でも、寂しくて満たされないのは、等価交換で知らないうちにいろんなものを失っているから。

 

小学校に登校した時に嗅いだタンポポの青臭さや、本当は元気なのにサボった体育の時間のカーテンから溢れる光。上京して、大学まで辿りつける自信がなくて何度も予行練習したこと。友だちとはじめてしたお泊まり会。好きな人のためにyoutubeを観て着付けた浴衣。友だちと喧嘩して、絶対許さないと決めた強い怒り。

 

健やかに生きるというのは、自分の人生を歩むことだと思う。あなたもあなた自身の生活を営めますように。そしてそれが、五感で感じることの出来る、感情豊かで彩りに満ちた素晴らしいものでありますように。

 

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コップの水滴

すごく苦手なのに、嫌いになりきれないのはどこかで期待しているから。好きになりたいから。

 

中学2年生のとき、突然学年で一番不良の男の子からメールが来た。うちのクラスの少し皆から嫌われている女の子の彼氏だった。あいつと仲良くしてほしい、みたいな内容だった気がする。

 

わたしはその頃今みたいに優しい気持ちよりは「可愛くないくせに」「こんな簡単な問題わからないなんて努力不足だ」という意地悪な思考の持ち主だったけど、今より社交的で明るかったし、八方美人で先生からもこういう頼まれごとをされがちだった。なんなら(恋空みたいじゃん、、)とか思っていた。

 

メールを続けていると、いきなり電話が来て2時間くらい話したり、「好きかも」「彼女が居なかったらな」なんて言葉、夜の12時に会いにきてくれたりして、もう実質彼氏の気分。

 

そんなこんな夢見心地のある日の朝、男の子の取り巻きから「◯◯カップル潰すようなことしないでくんね?お前が誘惑したって言ってっから、謝れよ、まじ」と言われて あ〜血ってこうやって下に流れるのね、と思った。手が冷え切って、感覚がなかった。

 

胸の大きい体型と相まって、この噂はあれよあれよと広がり、先輩や隣の中学まで知れ渡ることとなる。クラスメイトに皆の前で「千円でヤらしてくんね?」って言われた。泣いてしまった。なぜなら、皆さんご存知の通り、わたしは割と高貴なこころを大切にしているから。

 

泣いたら面白いようで、廊下をすれ違えば男子の集団からの「千円!」「サッカーボール」「かわいいじゃん、どう?!」。一人で街を歩けなくなった。親に毎日送迎してもらって、登下校のときは先生に挨拶のふりして見守りをしてもらった。

 

親とショッピングモールで買い物をしている時も、男子の集団がいれば泣いて逃げた。でも、わたしはどうしても都会の大学に行きたかったし、こんな田舎町から出るには勉強だと思って、毎日通学した。

 

一人だけずっと味方してくれていた、頭のいい男の子がいて、その子と一緒に地元の進学校に通うことを夢に頑張った。でも、震災で津波で彼は居なくなって、それは叶わなかった。こうやって優しい人から消えるんだと思った。

 

震災の余波も落ち着いて、やっと高校が始まって、せっかく助かった命だし、新しくやり直そうと思ったバスのなか。知らないauのアドレスからメールが来た。エッチなgifが添付されているだけのメール。やめて、って返信したけどもう届かなかった。遠くで彼らが笑っていた。

 

高校でもまだ千円、胸のことを言われ続けて、毎日マスクをして通学した。顔を見られたくなかった。表情を見られたくなった。クラス替えのタイミングでメインの集団と同じフロアにならないように、先生たちは1つ廊下を隔てるようクラスを編成してくれた。

 

「あなたは大人だから、賢いから、かわいいから、成熟しているから、彼らは揶揄って様子をみたいんだと思う」って大人たちは言った。

 

でも、なんでわたしが許さなきゃいけないんだろう。皆が結婚して、女の子を産んで、同じ目にあって、後悔すればいいのに。そう思って、罪のない女の子に同じ思いを味あわせようとした自分もいやになった。

 

わたしの男の子の原風景は、このように色づき、本と映画を見ることが救済になった。 そして、ハイスクールミュージカルのトロイやグリーのフィンのような「アメリカ映画的マッチョイズム」、「ジャニーズ系甘め男子」に惹かれるようになる。強い男は、わたしを守ってくれる。甘い男は、わたしを傷つけない。この時期の発想が芽吹き、花を咲かせ、幸か不幸か、わたしはずっと男の子を憎めない。

 

優しくて強い人がいるはず、という空想を追い続けている。

 

 

鍵盤のうえでスキップ

周りがどんどん付き合っていって、なんなら結婚して、子供までいるという現実。そうよね、もう23だもの。かく言うわたしは、「愛とは?恋とは?」という、皆さんがティーンの頃に悩んでいただろう命題をひたすら解こうともがいている。

 

わたしの考える愛は、坂本裕二さん脚本のドラマ『カルテット』8話のすずめちゃんのこの台詞にかなりちかい。

 

〝私の「好き」はそのへんにゴロゴロしてるっていうか寝っ転がってて。で、ちょっと ちょっとだけ頑張るときってあるでしょ?住所をまっすぐ書かなきゃいけない時とか、エスカレーターの下りに乗る時とか、バスを乗り間違えないようにする時とか。

 白い服着てナポリタン食べる時。そういう時にね、その人がいつもちょっと、いるの。いて、エプロンかけてくれるの。そしたらちょっと頑張れる。そういう好きだってことを忘れるっくらいの、好き。変かな?〟

 

友だちもすきだった男の子もお守りみたいに、辛いときにこころの中で側にいてくれる存在。このキラキラした瞬間をたくさん宝箱にしまって、会えない時間があっても、また会ったときに取り出してピカピカしたまま相手に渡す。そういう存在がいてもいいんじゃないかと、開き直って、わたしはきっと一人なのだ。

 

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https://youtu.be/aef27f4RaaM

助けたい、包みたい

頭のなかではまっすぐズンズン歩いていって、その勢いで抱きしめているのに、実際のわたしの身体は何でもないふりをしてあなたの隣に並んで、他愛のないはなしをしていたりする。

 

触れる、という行為は、言葉が役に立たない場面での一種の祈り。大切だよ、と伝えたいとき。怒ってる?と聞けないとき。自分の気持ちがわからないときも、触れてしまえば悩んでいたことが不思議なくらい明確になってしまう。遠慮がちになるときは身体が相手の気持ちを感じとっているので、触れない。

 

「もし神様がいるとすれば、個人の中ではなく、もちろんあなたや私の中でもなく、人と人の小さな隙間にだけ存在するんだと思う」

わたしが一番すきな映画『before sunrise』の中でセリーヌが発する台詞。

 

誰かに触れるとき、小さな隙間から神さまがこっそり介入して、答えを教えてくれていて、それをわたしたちは「直感」と思ったり、「運命」を感じたりするのかな。

 

あなたに/誰かに抱きしめたいという感情を抱いたとき、同じタイミングで抱きしめられたいと思ってもらえること。それは美しくて優しい奇跡。抱きしめさせてくれて、ありがとう。

 

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https://youtu.be/643oTvTh4XU

 

 

寝ても覚めても 感想

ぼやぼやと生きてきて、何か正しいことがしたいけれど、何をしたら良いか分からないし能力もない。ただそこにある真実をそのまま受け入れる能力に長けている朝ちゃん。起こること全部をストンと受容できちゃうから、現実はつまらなくて、仕事も友だちもあればいいけどなくてもいい。


二項対立としての演出、麦とのシーンは花火とか爆竹とかバイクや車のライトの光。キラキラしてて、美しくて、つい見てしまうけれどそこには必ず終わりが来る。亮平とのシーンは海とか川とか泡とかコーヒーとかの水は、かたちは変わるし汚いときもあるけれど、絶えず流れ続けてそこにある。

 

寝ても/覚めても という題名や、上述した演出の光/水のように この作品は対を意識した作りになっている。牛腸茂雄の『self and others 』(自己/他者)の双子。マヤが演じる作品イプセンの『野鴨』で描かれる真実/嘘 。朝ちゃんが麦と去ったとき、マヤちゃんは別れを/春代は許しを選んだ。 

 

朝ちゃんは麦が現実で亮平が夢だと思って、目を覚ましたとき麦の手を選んだ。麦と走らなければ、亮平のことを麦の代わりとしてではなく個として愛していることに気づけなかった。亮平が現実だって気づいたとき、周りも亮平の気持ちも気にせず突っ走った。大切と思ったら、大切にするしかない。それしかできないから。

 

 最後の、部屋から川を、亮平と眺めるシーン。交差しない視線。圧倒的に自己/他者を区別し観察者として存在していた朝ちゃんが、亮平を自己に取り入れ、1つの存在になったように見えた。2人の愛は途切れることないけど、掴めない。

 

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